院生奮闘記

世の益にならないことを猛烈に書き殴っていきます。

YouTubeに想う仙台ページェントの電飾

こんばんは。実に久しぶりの更新です。

 

9月は色々なことが立て続けに起こり、ブログはおろか、スマホさえ触れぬほど多忙に多忙を極めた毎日を送っておりました。

台風21号のおかげでまる一日停電・断水を食らってアウストラロピテクス顔負けの原始的生活を営み、北海道地震の報道を見んがためにテレビにかじりつき、大坂なおみの全米優勝に喜びすぎて味噌汁をこぼしたり、miwaと萩野公介の交際報道に一念発起し水泳始めようと決心してみたり、イグ・ノーベル賞を受賞した堀内朗先生が肛門から内視鏡を入れている姿勢を食卓で真似してみたり。実に、実に、多忙であった。

 

 

何はともあれ、平成最後の9月も早いもので下旬に突入しました。

窓を開けたら少し肌寒い微風が頬を打つ季節になりましたね。風呂上がりに窓開けるか否か、今僕の脳裏では賛成派と反対派が喧々諤々の様相を呈しています。

 

風呂上がりって何か良いですよね。

慌ただしかった一日から解放され、ホットミルクをちびちび飲みながら、明日のことに考えを巡らせる。聞こえてくるのは、夜のしじまに時折響く、遠くを走る車のクラクションと冷蔵庫の電子音。そうしているうちに僕の右手は、机にほっぽり出されたスマホへ伸びる。開くのはもちろん、YouTubeアプリ。

 

皆さんはYouTubeを使いますか。

僕は使います。というより中毒です、明らかに。中学1年生の頃にYouTube依存症を自覚してから早12年。僕は人生の半分をYouTubeと共に歩んできました。いや、最早ぼくの人生がYouTubeであると言ってもいいのかもしれない。それほどまでに、YouTube Love So Sweetです。

しかし、ひとくちにYouTubeと言っても、愉しみ方は千差万別。まず、一般的なのは純粋に音楽を聴くことでしょうか。それから、お笑い番組やアイドル番組の視聴、最近では動画配信を観るのも流行っているみたいですね。

 

風呂上がりの僕は、それとはまた違った愉しみ方をしています。

それは、

YouTubeのコメント欄ばかりをひたすら読んでいくこと

です。

 

YouTubeにはコメント欄が設けられていますが、動画の再生回数が多ければ多いほど、それに比例してコメント数も多くなる傾向にあります。このコメント欄を読み漁るのであります。そこには、マッターホルンもかくや、と思われるほどに険しい道のりを歩んでこられた方々の紡ぐ波瀾万丈な人生曼荼羅が広がっているのです。

 

 

一例だけ、ご紹介しましょう。

 

これは、辛島美登里の名曲「サイレント・イヴ」に寄せられたコメント。

 

「日本が今よりずっと華やかだったあの頃に、冬の仙台で一緒に光のページェントを見た彼女は今はどこで何をしているんだろうな?」

 

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

時は1989年。時代はバブル真っ盛り。

12月24日の夕暮れ時、大学生4年生だった彼は、大学近くにあるカレー屋さんのバイトを終え、駆け足で仙台駅まで駆けつけました。白い息を吐きながらも人混みの中に赤いマフラーを見つけた彼は、微笑みながら彼女に手を振ったことでしょう。

星降る夜空にそびえる木々。その木々を明るく照らし出すイルミネーションの下を、彼らは腕を組み、くだらない冗談に笑い合いながら、ゆっくりと、ゆっくりと、歩いて行きました。

人混みを斜めに抜けた彼らは、イルミネーション会場に面したあるイタリアン・レストランの軒をくぐります。予約しておいた窓際の席につき、2人はパスタを食べながら、プレゼントを交換しました。人目を気にして、机の下からプレゼントを渡してきた彼女をおちょくる彼。彼女と過ごす楽しい時間はこれからもずっと続くのだと、その時の彼は疑うことさえ知りませんでした。

 

時は流れ、彼は名古屋の放送局へ、彼女もまた仙台を離れ関西の銀行へ就職することになりました。最後に会ったのは、彼が一足先に名古屋へ向かう夜。彼女は駅まで見送ってくれました。電車の発車音が鳴り響き、彼は歯をくいしばりながら、電車の窓越しに彼女に向けて手を振り続けました。駅の灯りに照らされた彼女の赤いコートが、いつまでも、夜の闇に明滅しているようでした―――。

 

 

 

「サイレント・イヴ」を聴き、30年前のあのクリスマスの夜を想い出した彼の脳裏をふと、あの時の彼女と過ごした3年半の想い出たちが走馬灯のように駆け巡りました。

そんな彼も、今や二児の父親。妻が台所で立てる洗い物の音を聞きながら、追憶に微笑む彼はコメント欄へ文字を打ち込むのでした。

 

 

 

と、まあこんなふうに、YouTubeに寄せられたコメントを読み、勝手に妄想を膨らませて愉しんでおるわけです。

ただのコメントではない。そのコメントを彼に書かせた壮大なロマンチック背景に、あることないこと付け足し、自由気ままに感慨にふけるわけです。お金がなくて本を買えなくとも、TSUTAYAが近所になくて映画を観れなくとも、YouTubeひとつあれば、いつでも〈物語〉は僕たちのそばに転がっているのです。

 

 

何を言いたいのかといいますと、そろそろ寝なければ明日の人間的生活に差し支えるということです。

是非、皆さんもYouTubeで愉しき夜をお過ごしください。

それでは、ぐっない。